静岡がお茶の産地として発展した遠因はあの「坂本龍馬」!?
士族転農して開墾するの図の引用元
https://suido-ishizue.jp/kindai/02.html
坂本龍馬といえば...
坂本龍馬といえば、日本でも一二を争うほど人気のある歴史上の人物ですよね。
「でも、龍馬が静岡とかお茶にかかわったなんて話は一度も聞いたことないよ。」
そう。そうなんです。
でも、きっかけをつくったというか、影響を与えたというか。
そういう意味では関わりがあるのです。
龍馬の偉業といえば○○!
坂本龍馬といえば、江戸幕府を倒し、明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す『明治維新』の立役者の一人です。
1967年の大政奉還後、1868年に徳川慶喜は家督を徳川家達(いえさと)に譲りました。翌1869年家達は静岡藩知事に就任し、徳川家ゆかりの地である静岡市葵区へ移住することとなり、約6,000人の幕臣たちも家達に同行し静岡へ移りました。
ちなみにこの家達さんは、1940年東京オリンピックの組織委員会委員長で、その年に76歳で亡くなっています。ということは、家督を継いで静岡に移住したときはなんとわずか6歳というから驚きです。
俺もう武士やめるわ
家達と一緒に移住したかつて慶喜の護衛にあたった武士たちは、中條金之助を中心にこの静岡の地で、鎖国→開国後の輸出品として注目されていた茶の生産を始めることにしました。
中條金之助とは、大政奉還後に慶喜の身辺を危ぶんだ勝海舟らが、慶喜を警護するため発足した精鋭隊の頭で、当代一流の剣客として精鋭隊の頭に抜擢された人物。そんな剣客が、刀からくわに持ち替えて農民となったのです。
農民となった元武士らによる牧之原台地の開墾をきっかけに、静岡県各地での茶園の開墾も増え、その後、今日の静岡茶の発展につながります。
もちろん、明治維新以前からお茶の生産は行われていましたが、産業として大きく発展した背景には、武士たちの茶農家への転職がありました。
まとめ
1836年 坂本龍馬生まれる
1867年 龍馬らの尽力で徳川慶喜が政権を朝廷に返上する
1868年 徳川慶喜が家督を徳川家達に譲る
1869年 徳川家達&元幕臣が静岡に移住する
武士たちが農家に転職してお茶の生産を始める
そして現在、静岡がお茶の名産地となり、あなたのもとにおいしい静岡茶が届けられる
というわけです。
なので、坂本龍馬がお茶を発見したわけでも、生産したわけでもありませんが、龍馬が明治維新を起こさなければ、静岡はお茶の名産地になっていなかった可能性が高いと思いませんか?
あなたのもとにおいしい静岡茶をお届けできるのは、坂本龍馬が明治維新を起こしたから。
というちょっと強引なこじつけ話でした。
株式会社さがみ園
菊地原敦史